お子さんの不登校やPTSD、うつ病、パニック障害などの克服なら
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東京カウンセリングルーム
『こころの元気道』
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野田和子です
ようこそ、東京カウンセリングルーム『こころの元気道』 のホームページへご来訪いただき、ありがとうございます。
認定心理士・幸せ親子再生専門カウンセラーの野田和子です。
数あるカウンセリングのホームページのなかから、当ルームにたどりついてくださったご縁が、お客様(クライエント)のこれからの人生で、貴重な体験となって実を結ぶよう願っております。
私とカウンセリングの出会いは、今から40年前の20歳のときです。
その頃、不登校や引きこもりの少年・少女たちと出会い、接するうちに、カウンセリングに興味を持ち、講座やワークショップ、グループカウンセリングなどを学ぶようになりました。
おかげで、それまで自己嫌悪や劣等感にさいなまれることの多かった私自身も初めて「生きてて良いんだ」と思えるようになったのです。
そして、その後、さまざまな職種を通して出会った人たちの悩みや苦しみにともに向かい合い、問題の解決に向けて一緒に前へ進んでいくために、カウンセリングを活用するようになりました。
幼い子どもたちへの虐待や少年・少女の犯罪や事件の報道に接するたびに、自分の体の奥底から憤りや怒りを感じ、自分の非力に落胆することも多々ありました。
また、子どもたちを救うためには、親御さんや家族、教員など周りの大人に変わってもらうことがいちばんの近道だとも実感してきました。
このような私が、人生の折り返し点を過ぎた今、子どもたちのために何ができるのか、ちょっと大げさですが、「社会的弱者のために自分が果たすべき役割は何か」と自問自答しました。
そして、これまで自分がしてきた経験を無駄にしないためにも、社会の中で孤立しがちな方々の相談にのって、問題解決を支援する仕事に就くことが務めだと考え、カウンセリングに専念するために『こころの元気道』を開設しました。
子育てで悩みや不安を抱えておられるお母様やお父様、ご家族の方々、ご自分だけで抱え込まず、まずは一度ご相談ください。
目標を立ててまっすぐに『こころの元気道』を歩いてみませんか?
親御さんが変われば子どもも変わります。あなたが変わればお子さんも変わります。
だいじょうぶです。
ぜひ、 『こころの元気道』 にお手伝いさせてください。
1961年(昭和36年)、鳥取県生まれ、現在62歳です。
1982年(20歳)から、当時「情緒障害児」と呼ばれていた、「不登校」や「引きこもり」になった少年・少女やその家族の相談・支援活動を始めました。
時には、少女が引きこもる部屋のドア越しに、2時間以上話し続けることもザラでした。
この頃からカウンセリングについて学び始め、さまざまなグループワークやセッションを受けながらカウンセリングの経験技能を積んできました。
1985年(24歳)より更生保護法人日本更生保護協会に勤務し、法務省保護局「更生保護」編集部へ出向。保護司向けの機関誌『更生保護』の編集に携わりました。
また同時に、保護観察になった少年・少女たちの支援活動やカウンセリングを行ってきました。
1989年(28歳)よりHIV/AIDSの問題に関わるようになり、エイズNGO(非政府組織)の役員を務めながら、HIV感染について不安や悩みを抱えた人や感染した人(HIV陽性者)のカウンセリングや支援活動、啓発活動、マスコミ対応、行政との交渉、相談員の研修講師、講演会講師、執筆等を行ってきました。
1995年(34歳)から2019年までの24年間、東京都内の保健所において、HIVクリニック・カウンセラーとして勤務し、エイズ(HIV抗体)検査に来られた方、そして陽性(感染している)と告知された方のカウンセリングを行ってきました。
2007年(46歳)から2011年(50歳)まで、HIV/AIDS診療を行うクリニックにおいて事務長として働き、患者さんの福祉に関わる事務手続きやカウンセリングなどにも携わりました。
2016年8月1日に東京カウンセリングルーム『こころの元気道』を開設しました。
【資格・免許】
保育士資格、幼稚園教諭2級普通免許 取得
心理学士 学位取得
公益社団法人日本心理学会 認定心理士 資格取得
・老け顔の保育園児
4月生まれのせいか、生まれつき他の赤ん坊よりおとなしく「老け顔」でした。保育園に通う頃は、同じクラスの同級生たちから浮いていたようで、1歳上のクラスに入れられました。「落ち着いている」と「年上に見える」というセリフは、それから30年以上言われ続けるようになりました。
・10年間のいじめと死
保育園から中学校を通して10年間、クラスでいじめを受けました。
先生には気づいてもらえませんでしたし、怖くて自分から先生に話すこともできませんでした。
保育園の通園バッグを汚されたときに、意を決して、親に「○○君に汚された」と初めて話しました。しかし、親は大変なことだと思わずに聞き流し、分かってもらえませんでした。このとき、親には頼れないと心の扉を閉じてしまいました。
その後も同級生からのいじめは続き、完全に孤立していました。小学校4年生の時、思い切って先生に「○○君が嫌がらせをする」ことを打ち明けましたが、先生からの反応はなく、先生にも頼れないと思いました。そして、初めて「死にたい」と思うようになりました。。
時々ニュースで未成年の子どもたちの自殺が報道されると、必ずと言っていいほど「いじめがあったのではないか」と伝えられ、学校や教育委員会では「いじめの事実がなかった」と報じられます。しかし、いじめは大人の分からないところで分からないように進むから問題なので、どんなクラスにもいじめが起きる可能性があるという前提で対策を行わなければ、犠牲者は減らないでしょう。
・パニック障害の発症
中学2年生になると、さすがにいじめはなくなってきましたが、その頃から「パニック障害」の発作に襲われるようになりました。
放課後のことでした。テニス部が練習する様子を窓からながめていた時でした。
突然体が硬直し、お腹のあたりからザワザワしたものがこみ上げ、頭まで達したときには、声も出なくなっていました。身体が崩れ落ちそうになり、涙が止まらなくなりました。声も出ないので助けを求めることもできませんでしたが、周りの生徒が異変に気付いて私の体を両側から支えて、階段を上って保健室へ連れて行ってくれました。その後、落ち着いたので帰宅しましたが、後から思えば、これが最初の「パニック発作」でした。
「胃潰瘍」も発症し、病院に通うようにもなりました。そのころにはまだ「パニック障害」や「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という言葉がなく、自分でいろいろ調べて「不安神経症」の症状なんだと思っていました。
中学・高校時代には、胃潰瘍の症状がたびたび起こり、空腹になると背中に痛みが起き、苦しみました。病院の指導で、点滴と食事療法で治しました。その後、「こんな症状になると、潰瘍ができるな」という目安が分かってきて、「休養」することにも慣れていきました。
・老け顔の女子高生
高校時代、サッカー部のマネージャーをしていたとき、他校へ練習試合へ行った際に、選手がケガをしてその学校の保健室へ連れて行きました。養護の先生にケガの処置をしてもらいベッドに寝かせたので試合に戻ろうとしたとき、養護の先生から「先生、生徒は勝手にやらせておいて、お茶を飲んで行かれませんか?」と誘われました。引率の教師と間違われたのでした。
高校卒業後、埼玉県にある文京保育・保母専門学校(現・文京学院大学)に入学し、幼稚園教諭2級普通免許と保育士の資格を取得しました。
新幹線の中で、たまたま乗り合わせた小学生と親子に間違われ、知らない方から「お母さんも大変ね」と労をねぎらわれました。
・むずむず脚症候群の発症
一人暮らしを始めてしばらくしてから、夜になるとパニック障害の発作やむずむず脚症候群の発作に襲われ、眠れない日が続きました。朝になると症状は落ち着くため、仕事に行くことはできましたが、通勤ラッシュのなかでもまれるのは苦痛で仕方がありませんでした。
・情緒障害児の支援活動
1982年(21歳)から、当時「情緒障害児」と呼ばれていた、「不登校」や「引きこもり」になった少年・少女たちやその家族の相談・支援活動を行いました。団体の名前は「情緒障害を考える会」といい、事務所に集まる少年たちに勉強を教えたり、相談にのったりしました。自宅から出られない少年や自分の部屋から出られない少女の自宅を訪問し、部屋のドア越しに、2時間以上話し続けることもザラでした。少年のなかには家庭内暴力により、家のいたるところを壊したり、母親にケガをさせる子もいました。
・カウンセリングとの出会い
この頃からカウンセリングについて学び始め、さまざまな研修会やグループワークやセッションを受けながらカウンセリングの経験技能を磨いてきました。
「エンカウンター・グループ」というグループセラピーで、参加者が劇的に変化していくのを目の当たりにし、カウンセリングの重要性をますます感じたときでした。
この頃、カウンセリングを通して知り合った映画監督である巖谷平三(いわや へいぞう)氏と出会い、助手を務めました。スライドの制作や口述筆記、舞台助手など貴重でおもしろい経験をしました。また、長期療養中だった巖谷氏の奥様・丁子(ていこ)さんの病院に通い、身の回りのお世話をしたり話し相手になったりしました。丁子さんとはカウンセリングについて話し合うこともあり、貴重で実りの多い時間をもつことができました。
・ベビーホテルの保育士
その一方で、当時「ベビーホテル」と呼ばれていた24時間の民間託児施設で保育士として働きました。夜間働くお母さんたちから乳幼児を預かり、お迎えが来るまで食事やお風呂、遊びなどしながら保育にあたりました。
いわゆるホステスさんというと、派手なメイクと衣装で、派手な生活をしているような印象を持っていましたが、その中にはシングルマザーも多く、懸命に働き子どもを愛する姿に自分の偏見が恥ずかしくなりました。お母さんから相談を受けることも多く、ここでもカウンセリングのスキルが大いに役立ちました。
・BBS活動
1984年(23歳)頃からは、保護観察になった少年・少女たちの支援活動(BBS活動)を始めました。BBS活動とは、兄姉のように身近な存在として彼らを支援する活動で、勉強を教えたり、相談に乗ったり、キャンプやバザーをしたりと、さまざまな経験を通して子どもたちの心の成長を促す活動を行いました。
少年たちから相談を受けることも多く、更生保護カウンセリングという分野での学習が役に立ちました。
1985年(24歳)、更生保護法人日本更生保護協会に勤務し、法務省保護局「更生保護」編集部へ出向して、保護司向けの機関誌『更生保護』の編集に携わりました。
1986年(25歳)、BBS活動が評価され、総務庁(当時)主催「青年の船」に参加し、50日間オセアニアの青年たちと寝起きをともにして各国を回りました。
1989年(28歳)、現在の上皇陛下が即位されたあとに当時の東宮様(現在の天皇陛下)の立太子礼が執り行われた際、皇居で行われた祝賀会に出席して、宮中晩餐会というものを経験させていただきました。また、BBS活動を行うなかで、高松宮・同妃両殿下とテーブルを挟んで向かい合い、お話しさせていただきました。
・エイズ問題
1989年より、HIV/AIDSの問題に関わるようになり、エイズNGO(非政府組織)の役員を務めながら、HIV感染について不安や悩みを抱えた人や感染した人(HIV陽性者)の相談や支援活動、啓発活動、マスコミ対応、行政との交渉、相談員の研修講師、講演会講師、執筆等を行ってきました。
根治療法がなく、感染し、性行為と深く関わるHIV感染症には、医療以外に戦わなければならない要素がいくつもあり、対応の難しさをいつも感じていました。ここでもカウンセリングのスキルを活かすことが多く、助けられたことが多々ありました。
1993年(32歳)、流産を経験しました。愛する者を失う悲しみと苦しみに対して、自問自答のセルフ・カウンセリングが慰めになりました。
1995年(34歳)から現在までの2019年までの24年間、東京都内の保健所において、HIVクリニック・カウンセラーとして勤務し、エイズ検査に来られた方、そして陽性(感染している)と告知された方のカウンセリングを行っております。いまなお偏見が多く、完全に治すことができず、一生発病の不安や死への不安と戦わなければならない病気を抱える方のカウンセリングには、豊富な情報と細心の注意が必要になります。
2003年(42歳)、高円宮妃久子さまをHIV/AIDS関連の写真展でエスコートさせていただきました。
・HIVクリニックでのカウンセリング
2007年(46歳)から2011年(50歳)まで、HIV診療を行うクリニックにおいて事務長として働き、患者さんの福祉に関わる事務手続きや相談にも携わりました。少人数のクリニックだったので、医療事務や防火管理、経理、渉外など、医療行為以外は何でもやるポジションでした。
・我が子の不登校
2007年、小学6年生の我が子が不登校になりました。無理に登校をさせようとせず、本人の気持ちを第一に考え、私自身が焦らないことにしました。
不登校は3ヶ月弱で解決し、無事卒業式を迎えました。進学した中学校では、休むことなく通学しました。
・心理学部心理学科を卒業
2016年、東京福祉大学心理学部心理学科を卒業し、学位(心理学)と日本心理学会認定の認定心理士の資格を取得しました。
・カウンセリングルーム開設
2016年8月1日、“東京カウンセリングルーム『こころの元気道』” を開設しました。
どんなささいなことでも結構です。お問合せください。
※電話によるお問合せは 042-507-3364 ※受付時間 10:00~21:00 ※定休日は火曜日
※カウンセリング中は電話に出られませんので、留守番電話にメッセージを残していただければ、こちらから折り返しお電話させていただきます。
※FAXとメールでのお問合せは、24時間年中無休で受け付けております。